百名山80座達成へ<人生編>

今回の「日本百名山」80座達成は、大学時代までに40座達成したのと、以後今日までとが同じ数だけ達成した事になる。大学時代は年数が限られるもの、それ以後の方がより家から遠い所が多くなるため、当然ながら後者の方がより時間がかかっているものである。更に社会人としての仕事が加われば尚更である。

しかし、本来社会人になってしまえばより忙しくなるはずであり、会社員としてずっと仕事を辞めないで継続していれば当然時間というのは限られてくるものである。そうなると百名山を目指すのは余程休みがしっかり取れる様な所でなければ難しいものである。ましてや、家族を作ってしまえば尚更である。

残念ながらというのか、私の方は「訳あり」といってしまえばそれまでである。就職できた半導体工場を3ヶ月で切られてしまってからは、まさに社会人として迷走しまくりとなってしまった。本来目指すべき仕事はあったもの、それには進学のための高額な資金が必要だった。転職に次ぐ転職でついに薄給長時間労働で心身共におかしくなり、一時はニートに限りなく近い状態にまで転落した。

かえってそれが夏場に集中して縦走するスタイルとなってしまったのか。冬場を中心に仕事をする様になり、夏場は転職活動をしつつ縦走を中心に登っていった。だがそれでも一時は通年で仕事をし、資金を稼いでいこうとしていた時期もあった。所が、ホームページを使ったインターネッビジネスの可能性に気付くと、以後冬場は仕事を頑張って夏場はそれで自立を目指しつつ暇があれば縦走といった感じだったが。年によっては1日も早い自立を優先して道外遠征すらしなかったりもした。

早い段階で気付いてウェブ作成を極め、仕事としてのスキルを上げてSOHOなどで独立できれば、また違ったものとなるのは火を見るより明らかだろう。そうなればもう既に全座達成できたかもしれないし、より遠回りせずなりたい自分に近付けたかもしれないものである。当時にして専門系でない仕事を我慢して何年か頑張るよりは、ウェブ作成を極めた方が良かっただろう。

もっとも、大学時代にそういう事に気付けばもっと凄い事になっていた事だろうか。当時から何とかしようという気持ちはあったもの、PCは持っていなかったのでネットもつながっておらず、情けない事に「ウェブって何?」という状態だった。地元に戻る事も含めて考えれば、工場よりはむしろウェブ方面に進める様にしなければならなかったでしょうし、いずれはSOHOなどで独立の可能性もありだったのかもしれない。

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