縦走の夢~もう一つの勤続しない理由~

9月に北東北に就職して勤め続けてもいずれ戻らなければならないため定年まで勤められない事を書きましたが、戻るというかその職を辞め得るもう一つの理由として縦走の夢というのがございます。大学時代に長期縦走登山を行ってきましたが、更なる縦走の夢が残ったまま卒業する事となりました。 

1998年、大学時代の最後に南アルプス全山縦走を10日余りで達成しましたが、北アルプス大縦走の夢を残したままでした。それは更なる大きな縦走であり、順調に行っても全行程2週間余りかかります。社会人になってからそれだけの休暇を取る事は大企業で休みが取りやすい業種でなければ困難であり、自分が就職し得る企業ではまさにその会社を辞める事に直結します。

ただ、道央圏で安定した所で定年まで勤めてもいい所に就職できた場合は事情が異なります。もし千歳の半導体工場に様な所に就職し、ずっと勤続できたなら勤め続けていた可能性もございます。まさに縦走の夢よりリアルな人生を取る事になります。そうでなければ必然的に定年まで勤めるという選択はなくなり、縦走への夢に取り組んでいたでしょう。

北東北であれ、順調に就職してからはある程度勤めてから行動に移す事になります。遅くとも30代のうちに達成したいと思っていたので、長くとも勤続10年前後になるでしょう。はっきり言って定年になってからというのでは長過ぎますし、肉体的に不可逆的に死に向かうだけというのでは悲し過ぎます。

結局北アルプス主脈縦走は卒業して3年経過した2002年に行いましたが、半導体工場を切られてからでしたので、縦走資金は長時間労働できつい労働で頑張らなければなりませんでした。トレーニングは仕事がオフの時しかできず、今思えば大学時代からの貯筋で乗り切った所もあると思います。やはり、南アルプス全山縦走時に比べて体のパフォーマンスが落ちていたのは否めませんでした。その後もうまく専門系に就けず、仕事も必然的に長時間労働できつい労働でしたので、トレーニングは夏場の空いている時期に集中して行う事となりました。

今であればユーチューバ―にでもなるとか会社に縛られない仕事をするとか色々選択がございますが、大学で修めた学科の内容を含め、当時は本当に思う様にいかない時代でした。なりたい仕事に就けずに就けたとしてもきつくて続かない仕事しかないのなら、いっその事ニート縦走家にでもなりたかったですが、経済的にそれも許されなかったものでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください