いずれにせよ実家に戻らなければならなかったか

昨秋に母が亡くなり、実家は当管理人以外姉だけになってしまった。ただ、姉は仕事柄足を悪くしており、ゴミ投げや古新聞古雑誌の片付けなどは主に当管理人が行っている。昨今の家の状況を考えても、札幌にUターンするか、千歳など実家からそんなに離れていない所に戻るのが現実だったのかなと思えるものがある。それとも、実家や姉との関係を犠牲にしてでも、定年まで北東北の職場で頑張って勤めなければならなかったのか。

大学は北東北で新卒での就職活動は学科の内容からいってUターン就職が厳しく、就職してからのUターン就職も内容からいって厳しいため、その土地で定年まで勤め上げる事が求められていました。当管理人は留年して成績もよくないために大企業への就職は望めず、順当に行けば北東北への就職になります。しかし、北東北での就職は待遇面で札幌圏より良くないため、なるべくなら最初から札幌市周辺か道央圏に就職し、そのまま定年まで勤め上げれるのが理想でした。結婚の可能性も北東北への就職では経済面も含め限りなく厳しいため、札幌・道央圏での就職に望みを賭ける格好になりました。

当時は北海道拓殖銀行の破綻もあり、北海道内の就職状況は非常に厳しくなっていました。まさに就職氷河期の中でも更に厳しい超氷河期に入ろうとしていました。就職活動は新卒では北東北と札幌周辺とで行いましたが、内定が得られなかったため、結局札幌に戻りました。戻って就職活動を続けましたが、2年目に職業訓練をした後に千歳の半導体工場に就職できました。しかし、3ヶ月で切られてしまいましたが、その事からもUターン就職がまさに賭けだったのです。

再就職ですが、大学の先生に頼み込んでお願いする場合、まさに一生を賭けてでも勤め上げる気持ちは必要でした。少しでも家庭の事情があればというのでは許されません。従って、それは断念して一旦専門と関係ない職種で仕事に就き、合間に専門系の就職活動も行いました。専門系にはどこも通らず、肝心の仕事も長続きせず細切れになってしまったのは否めません。以後の経過については言うまでもございません。

仮に新卒で道内ではなく指示通り北東北にスムーズに就職して勤め続けたとしても、アラフィフまでには戻らなければならない現状がございます。この場合勤続は25年前後であり、定年が65歳だとすればあと15年前後もある事になる。2011年の東日本大震災で勤務先が被災した場合、勤続が10年余りとなり、転職がうまくいかなければもっと早く戻る可能性もあった。半導体業界でなければUターン就職も厳しいため、Uターンの場合はそれまでのキャリアがストップし、新たなるスタートを切らなければならなくなる可能性が高かったです。そのため、在職中から次のキャリアに向けての取り組みも行わなければならなくなります。そうなると、やはり昨今の自分同様の事を考えて準備していく事になります。

進学先や学科の選択は時代の変化を含め、完全に誤ってしまったと言わざるを得ないです。大学を中退して別の学校でITや医療など、より就職に有利な所でやり直せれば良かったのではと思われますが、とにかくまず大学を卒業する事を母に言われ続けました。そしていざ卒業を控え就職活動の段階になりましたがその内容は厳しく、経済的に許されるなら卒業してから上記の別の学科でやり直す事も考えられました。

半導体工場を切られたのは大誤算でしたが、あの様なご時世なら起きてもおかしくないというか、想定しなければならなかったのか。それを見越せば、やはり順当に北東北に就職するべきだったのでしょうか。昨今の様な状況であっても、北東北で勤め続けてからUターンする場合でも、自分にとってアラフィフで人生をやり直す段階に来ている事には変わりありません。

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