姉の江差での闘い完了

姉は約1週間前から江差の寮で片づけを行い、退学届が受理され30日にこちらに戻ってきた。まとめた荷物をこちらに送ったが、26日の晩に着いた。居間の一角にまとめられたが、そこだけでは足りないので階段横の一部にも置いている。今後別の医療系・福祉系に進むにせよこれから新たなる闘いが始まる。

在籍可能期間があと1年半残っていたが、担当の先生から嫌がらせを受けていた。このままいても卒業できそうにない状況だったため、見切りを付ける事になった。看護専門学校は看護短大とは違い、基本的に他校への単位の互換性がない。そのため、編入には厳しいものがある。ただ、入学当時姉はOLをしながらであり、私を含めそこまでの余裕はなかったのだが。

姉が新たな道へできるだけ希望を添える様にするのはもちろん、こちらも新たな道に進める様ににしなければならない。現状で見ても昨シーズンまでの様な仕事はほぼ100%しない事を決定している。なぜなら今後のビジネスの方針が決まり手を止めてはいけない状況と感じており、それまでの様な仕事をすれば完全に手が止まってしまうからである。

一方、こちらは半導体工場を切られて以来進学の機会を何度か窺ってきたが、そのハードルは高く実現できなかった。「進学すればいいってもんじゃない」と言われるかもしれないが、大学では潰しが効かない学科だったために地元での就職は困難(不可能と言ってもいい)である。そのため専門系の仕事をやりたければ他分野の勉強や就職へのアプローチさえ考えていたのである。又、進学先は大学だけではなく専門学校まで考えた事がある程である。

上記の事を実現するためにも新たな自分を作り上げるためにもガンバである。もっとも、「暗黒糞企業」しか入れないならば思い切って起業というアプローチを考えてみても良かったのではないか。それを死に物狂いで考えれば廃人になっている場合ではないのだが。ただ、半導体工場を切られた当時はまだPCを持っていなく、当然インターネットもつながっていなかった。生活基盤やインフラ、いや人生の基盤を整備しようとした矢先に切られてしまったのはあまりにも痛過ぎた。

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