父が亡くなって満20年

22日は父が亡くなって丁度20年になるが、今となっては人生の中で父がいない時の方が長くなってしまった。夕方お寺さんが来て母と一緒にお参りする。当時はまだ高校生であり、大学受験を目指していた。情けない事に亡くなった影響は残念ながらもろに受けてしまったと言わざるを得ない結果となってしまった。その後体調を崩してしまい、学業も疎かになってしまった。色々な経緯があったが、何とか受験できるまでにはなったもの、調子も高校受験の時とは程遠いものだった。

本来なら医薬系に進みたかったが、経済的なものも去る事ながら国公立なら実力も厳しいものがあった。私立薬大なら入学金や授業料が凄く、当時の経済状況では絶対無理だった。そこで妥協して医薬系ではない理工系に進んだのである。地元の国公立大に入るには当時なら正直何年かかるかわからないものであり、地元の私立工業系大学に進むのが妥当とされていた。何を血迷ったのか、東北にある大学に進んでしまったのだ。結論から言えばもう少し長く取り組んでも良かったものだったが。

大学に入ってもベストな調子には程遠く、体調も精神も安定しなかった。当然ながら、いつ退学してもおかしくはなかった。それに自分のいた学科は卒業までが非常に厳しく、入学者の1割以上は何らかの形で辞めていく所だった。そこを卒業してしまえばいいのかというと、残念ながらあながしもいいとは言えない。学部を4年できっちり卒業できる実力があれば、そのまま大学院に入れるといってもいいものだった。

4年ではきっちり卒業できなかったもの、何とか卒業が見える所まで来たが、不況が直撃してしまった。それでも勤務地(道外)と職種を妥協しなければとりあえず就職する事はできたはずだった(今でも言えるのだが)。もう道外で暮らしていくのは精神的に困難と判断し、就職できずに札幌に戻ってしまった。その当時にインターネットビジネスや投資ができていたら違っただろうなと思わずにはいられないものだった。

戻ってきてから2年目でようやく千歳の半導体工場に就職できたもの、僅か3ヶ月で切られてしまった。その後専門系や理工系の職には縁がなく、関係ない職種でずるずるきてしまった。職種や条件を選ばなければ職はあるにはあるが、果たして定年まできっちり勤め上げられるかどうかは残念ながら微妙である。

正直な所やりたい自分に、なりたい自分に正直過ぎた所も普通の正社員の道から遠ざけてしまった。何といっても現実の仕事よりもいつかお金を貯めて大学や専門学校などに進学して専門的な仕事に就く事を目標にしてきたから。結論から言ってインターネット投資やビジネスでもやらなければ立て直せない所まで来てしまった。

この20年ここまで低迷してしまったのは経済的な面も決して小さくないもの、自分の能力のなさを如実に表しているものだった。だが、ここ数年で突破口を開くべく取り組みを色々行ってきたのも事実である。10年近く前なら半導体工場を切られ、その後の就職や仕事もうまくいかない状態が続いた。当時は廃人寸前まで追い込まれ、「もうダメだ」と自殺も考えていた。

それでも今ははっきり言って自殺は考えておらず、やって結果を出せる余地がある所まで来れただけでも大きな進歩と言える。にしても遅過ぎるのだが、いずれにせよ黙っていても後退するのは確かである。ここ20年間はベストな調子を目指しても安定せず低迷を続けてきたが、今後20年間は好調になり人生を一気に挽回してやるつもりで行く。そして来るべきアラフォーを輝ける様にしたいものである。

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