宅配便配達時代

前日の日記でペリカン便の統合でゆうパックの配達遅れについて書いたが、かつて私がペリカン便の配達の仕事をしていた事にも触れた。最初にペリカン便の仕事に入ったのはかなり前に半導体工場を切られて間もなくの頃である。すぐに仕事をしてお金を確保しなければという事ででアルバイト情報誌を見ていたのだが、そのお歳暮の配達の仕事に咄嗟に飛び込んだものに近かった。

それも車持込の完全歩合制であり、「1日13000~26000円」と書いてあった。無我夢中で1ヶ月近く仕事をしたが、実際の稼ぎは1日13000円にも程遠いものだった。自家用車の場合やはりワゴン車など荷物を沢山積める大きい車が有利であるが、3ドアハッチバック型なので積める容量は限られるのである。

年が明けて短期アルバイトとしての期間が終了したが、一旦3月に別の仕事に準社員として就職した。だが、その仕事も会社の部門整理があり、3ヶ月余りで切られてしまった。もっとも、私自身向いていないとされていたのであるのだが。ちなみにその会社はゴルフクラブで有名な会社であるが、バブルの時代は多角経営をしていた。

そんな折も折7月に入ってから所長から直接電話がかかってきた。当時まだ仕事が決まっていなかった事もあり、お中元の配達の仕事をやる事にした。お歳暮の時もそうだったが、このお中元の仕事も日通との契約でやっていた。所がとある下請け会社の社長に声をかけられ、忙しいからもっとやらないかという事だった。

8月までは日通との契約だったが、9月以降は下請け会社の契約となった。やはりというかその稼ぎは非常に厳しいものであり、1日中働いても月15万行くのが困難なものだった。月によっては10万円程度だったりもした。12月からは再び日通との契約に戻ったが、正直次の冬は別の仕事をやろうと思った。

当時半導体工場と3月から3ヶ月余り勤めていた会社との雇用保険の通算が6ヶ月以上であり、失業保険をもらえる権利があった。所が勤めた宅配便の仕事はアルバイトだった事もあり、一切かけてもらえなかった。このままでは失業保険がもらえなくなるのと、新たな仕事への転職希望もあり、通常の短期アルバイト同様に終了した。

次の夏に頭を下げてお願いしたもの、この夏を最後に宅配便の仕事から完全に足を洗った。そして秋以降冬場メインの別の仕事に転職したのである。もういい加減に違うもっとましな仕事に転職したい気持ちが強かったのも大きかった。仮に12月に限定して宅配便の配達をやるか後に転職した仕事をやるかとなった時、間違いなく後者を選ぶだろう。

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