転職活動の重要性(後編)


母からは「早く安定した仕事に就いて嫁さんもらって」という様な事をいわれてきているが、現状ではそれ所ではないのである。半導体工場を切られてかなり経過しているだけに、「もういい加減身を固めよ」という事ですが、これまでの労働条件や待遇ではとても身を固められないと思うのですが。あるいはオンラインゲーム(ポトリス)で知り合った兼業主夫の様に稼ぎの良い嫁さんをもらい、尻に敷かれる方法もある。しかし、大学時代以降のつながりもなく、イケメンでないのでまず厳しいだろう。

生前父からは「一般技能ではダメだ、特殊技能をやれ」と繰り返し言われてきた。父は営業・配送の仕事をしてきたが、本来は建設関係の仕事をやりたかったもの、色弱で断念したという。自分もその影響もあり、小さい頃から専門系を目指してきた。それも当初は化学系・工学系ではなく、医療系を目指してきた。しかし、父が亡くなった辺りから成績や体調が低迷し出し、医療系を諦めたという経緯がある。

大学時代は化学が専攻であり、当然ながらインターネット関連のビジネスなどでフリーでやっていくという構想は見るべくもなかった。だが、北海道で化学系の職に就くのが困難であり、在学中は本州への就職を強く勧められていたのは事実だ。それだけに北海道に戻るのであれば当時からそういう事も頭に入れて行動すべき所だったが、残念な事に卒業するのが精一杯の状況だった。

大学の同じ研究室の先輩で郷里の函館に戻ってウェブ関連のアルバイトに就いた方がいる。彼は大学院修士課程を修了され、教員免許も取得されている。現在はどこまで昇進されたかわからないが、函館では札幌以上に化学系の仕事に就くのが厳しいのは目に見えている。それを考えるとある意味妥当な選択ではあったのではないかと思えてくる。

私は確かに大型免許は持っているとはいえ、基本的にドライバー系の仕事でやっていこうとは情けない事に考えていない。ズバリ一般的に労働条件が過酷で賃金が釣り合っていないからである。現状でも体にガタが来ている事に気づいており、このまま続けていけば体が悲鳴を上げ、最悪の事態にならないとも言えなくもないからである。ドライバー系はあくまでも最悪の場合の選択肢であり、40歳を過ぎても目標を達成できなかった場合の保険でしかないのである。

更に一般貨物運転手に対する事故や失敗に対するペナルティが大き過ぎるのである。事故はもちろんだが、荷物の破損や到着遅れは損害賠償の対象であり、運転手は責任を丸抱えするのである。それで借金を丸抱えする様では仕事をする意味はない!そうなる位ならできるなら他のまともな仕事をした方がいいものである。

気持ち的には40歳前後での医療系への進学の可能性も探っている。進学には経済的な問題が大きいだけに、その問題をクリアする道を見つけ、達成するまではまず頑張っていく事になる。現状では「セミリタイア」状態にでもならなければ進学は厳しい。今後は「アラフォーで輝く」が新たなテーマになりそうだ。

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