あの世紀をかけた大縦走達成から満10年

北アルプス主脈全山縦走(イメージ)

北アルプス主脈全山縦走(イメージ)

22日で北アルプス主脈全山縦走を達成して満10年になる。2002年8月30日に上高地をスタートし、穂高岳・槍ヶ岳・後立山連峰など北アルプス主脈をたどっていき、9月22日の夕方に親不知海岸に到達した。合計17行程と2週間を超え、停滞も入れれば24日という、1998年に達成した南アルプス全山縦走をも上回る歴代最大の縦走である。又、南アルプス全山縦走とは違い、途中で断念する事なく1回の縦走で達成できたのは大きい。

前半はお天気に恵まれ、穂高岳周辺の難所も無事通過し、穂高岳や槍ヶ岳では大展望を堪能できた。ただ、やはり9月に入った事もあり、中盤以降はぐずついたお天気に悩まされた。前半戦終了近くまで順調に来たが、中盤以降は停滞が目立つ様になった。終盤の唐松岳から白馬岳を経てラストまでの4日間はお天気が良くなった事もあり、停滞なしで一気に進んだ。

道中中盤にカメラが故障したが船窪小屋の人が貸してくれたり、中盤以降特に終盤は余った食糧などを差し出してくれる人も目立ち、中にはガスカートリッジまで譲ってくれた人までいた。南アルプス全山縦走では北岳山荘でいただいたビール以外は、ほとんど自前の食糧とガスで乗り切った。それだけに道中出会う数々の人にお世話になり、助けられたからこそ達成できたと言っても過言ではない。

南アルプス全山縦走は3回目の挑戦にして達成し、停滞する事なく達成できた。一方、北アルプス主脈全山縦走は1回目で達成できたもの、9月がメインで悪天候に悩まされた事もあり、停滞が計1週間程にもなった。できるなら8月のもっと早い時期にに挑戦すべきでしたが、短期アルバイトの関係もあって後にずれてしまった。そのアルバイトは縦走の資金になったが、決していい収入にはならず、限られた資金の中で縦走を行った上、縦走後は金欠でカツカツになった。

そのため、交通費や宿泊費を中心に旅程費用を抑えなければならなかった。北海道から本州の往復はフェリーを利用し、素泊まり料金でも高い営業小屋は極力泊まらずテント泊にした。山小屋に泊まったのは僅か2泊であり、その内1泊は無料に限りなく近い避難小屋でしたので、宿泊費を大幅に抑える事ができた。それでも日数が20日以上にもなったため、テント宿泊費だけでも5000円を超えた。

当時は折角就職できた半導体工場を切られてからいくつかの職を転々とし、一時はニートに限りなく近い状態になった。そんな最中行った大縦走であり、何かを変えたいという思いが強かった。南アルプス全山縦走を達成したが、かねてより北アルプスの主脈縦走を機会があれば行なってみたいという思いもあった。

当初は前年に行う予定でしたが、当時の運送関係の社長に捕まり、ずるずると徒労で引っ張らされた。縦走を行えずに終わってしまった挙句、退職後はニートに近い状態まで追い詰められた。それだけに何が何でもこの年に絶対行って達成したいという思いは強くなった。この縦走の直前にもその運送関係の社長の所にお世話になる羽目になったが、縦走達成後は完全に手を切り、違う業界の職を渡り歩いた。

残念ながら縦走記録は未だ完成できていないのが痛恨である。現時点で約半分の第8行程まで完成しているが、それも数年前である。ただ、写真は全てデジタル化は済んでおり、時間さえ取れれば取り組んで完成させ得るのですが、やはり冬場時間が全くと言っていい位取れないのは痛いものである。

ここ数年というかこの縦走達成以降冬場非常に忙しい仕事をメインとしてきた事もあり、そうしているうちは完成する事は時間的に不可能である。そういう状況からの脱出をここ数年行ってきており、今度の冬はある程度時間を取って製作できる態勢にしたいものであり、遅くても1・2年後の完成を目指す。

「北アルプス主脈全山縦走’02」(屋根から尾根へ~縦走への挑戦~)

あの世紀をかけた大縦走達成から満10年」への2件のフィードバック

  1. ジャン より:

    あれからもう10年なんですね、オンタイムで記録読ませていただいてたのが昨日のことのようです。人生とはなかなか思うようには行きませんね。

  2. 管理人(探求者Kこと近藤) より:

    ジャンさんこんばんわ。あの当時はそれこそどうしようもなかったと言ってもいい状態であり、経済的にもどん底でPCスキルなどもまだまだでしたからね。

    あれから更にもがきながら10年過ぎたという感じですが、そろそろ風穴が開けるかなという感じでもあります。

コメントは停止中です。