震災から8年 義援金を 本来であれば

11日で東日本大震災から満8年になる。あれだけの未曽有な規模の震災については今更言うまでもないが、復興はまだまだ半ばであり、進ませなければならない状況である。GoogleMapsのストリートビューを見ていても、三陸沿岸の被害がひどかった所はまだまだ復興が進んでいない感じだ。岩手~宮城の復興道路が相次いで開通しており、9日には横断道である釜石道が全線開通し、6月には三陸沿岸道路が気仙沼~宮古までつながるという。それと昨年6月には北海道の室蘭と岩手の宮古を結ぶフェリーが就航した。1日でも復興が促進する事を願わずにはいられない。

当管理人は長らく義援金を贈ろうか悩んできた。実は在籍が被災県の大学であり、大学を卒業できなかったならともかく、大学を卒業したのであれば少なからず恩返しをしなければならないという気持ちは少なからず持ち続けてきた。そして数日後、改めてまとまった金額を義援金として大学の方へ送ったのである。自分にとってはまさに10年に1度という感じの規模でしたが。

本来であれば大学を卒業する以上、当時確実に就職するのであれば東北の地元の方に教授推薦でも就職を進めていく以外道はないというべき状況でした。しかし、その内容・待遇はまさに選ばなければあるという感じであり、当然可能であれば地元北海道に戻って就職できた方が待遇面を含め、人生に有利ではあった。それを選ばずに北海道に戻ってしまったというのは、目指す人生ではなかったと言えばそれまでなのですが。それでも、フリーターやニートにならず正社員として貢献できるというものでした。

今思えば大学卒業までは「燃え尽き症候群」だったのではないかと思えるものがある。学科の卒業までのハードルが非常に厳しく、とにかく当時の自分は大学を卒業するのが第一であり、それ以後については考えうる状態には至らなかった。母からは大学を卒業できなければ勘当という事を言われており、とにかく卒業すれば戻って来れれば(悪い事でなければ)何してもいいという感じであった。それこそ、当時オンラインゲームで廃人でもなろうものなら、卒業は確実に無理だったでしょう。

しかし、その通りに就職して人生を進めていったとしても、今日まで仕事とその土地での生活が続いている可能性は限りなく低いでしょう。リーマンショックなどの経済危機や、この未曽有の大震災もあり、職を失う可能性も少なからずあったという事であり、更に職種的に転職が困難である。大学では就職すればその仕事とその土地での生活を、定年までしがみついてまっとうできる事が強く求められていた。しかし、その人生のレールから脱線すれば大問題となる。

それこそ、会社に頼らなくても生きていける方法をいざという時のために模索する必要があると言っていいでしょう。極端な事を言えば本当に必要なのは会社に縛られなくてもやっていける実力であり、大学時代にその可能性を見い出せなかったのが問題である。ならばまずは就職して社会人生活を確実に進めつつ、いざという時を含め将来に備えての実力を蓄えるのも大いなる一つだったのではないか。

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