約16年振りの献血(400ml全血献血)

献血で本採血中の右腕

25日の午後散髪を済ませてから夕方に西区の北海道赤十字血液センターに足を運び、約16年振りに400ml献血を行ってきた。先日千歳の工場に勤めるのが約16年振りという記事を書いたが、奇しくもこちらも約16年振りである。ここしばらく献血や点滴の針は刺していないのか、ネットで献血の事を調べたりしているうちに9月末の検診の前に献血しようと思ったのだ。25日の午前中は用事があったので、午後に足を運ぶ事にするが、時間的余裕を考えてスーパーなどの献血バスではなく血液センターにした。16年前は当時同じ西区にあるポリテクセンター北海道で職業訓練を行っており、そこに来た献血バスで行った。4月と8月の2回行ったが、それ以来約16年も空白ができてしまった。

スリッパに履き替えて受付をするが、過去のデータを参照するために住所などのデータを記入させられる。すると過去のデータが残っている事がわかり、そのデータが新たに反映される事となった。端末を渡され、呼び出されると音声と共にメッセージが表示されるので確認ボタンを押し、指示した所へ移動する事になる。受付で身分証(運転免許証)を提示し、タッチパネルで答えていく。右腕に番号が書かれた紙のリストバンドを付けられるが、71番となる。そして診察で血圧を測ったが、過去の健康診断にはない異常に高い数値が出た。やはり久々の献血で相当緊張しているのか。次いで検査のための採血となるが、本採血する腕を確認するため、それぞれの腕を差し出した所、今回は当時とは逆で右腕から本採血を行う事となった。ちなみに、過去に点滴をしたのと同じ腕である。まず左腕から検査のため採血を行うが、刺す時は本採血に比べれば大した事はない。ただ、右腕が温まっていない様なので、暖かいタオルを止血バンドで固定されると共に、暖かいものを飲む様に勧められる。一旦待合室に出てココアを飲む。

10分程度経過して呼び出されるといよいよ採血ベッドに移動する。荷物を下に置くが、カメラを出しておくなど撮影態勢は整えた。目の前には液晶テレビがあり、下の方にDVDレコーダーがあるなど当時とは違うなと感じられる。又、顔の左右にスピーカーが付いている。上腕にゴムバンドがきつく巻かれ、本採血する箇所を消毒される。成分献血特に両腕でやる方法について尋ねてみたが、現在は片腕でやる方法になってきているという。ただ、自分の場合血管が細いので失敗する可能性があるとの事でした。

テレビでは札幌ドームでの日本ハム×楽天戦がやっており、11回裏に丁度大谷が打席に入っている所ですが、本採血の針が刺されぐぐっとくる。だが、刺されてからは思ったより違和感がなく感じられた。針は一般的な採血とほぼ同じ箇所に刺されたため、右手は採血の注射同様動かせないが、左手は自由が利くので、カメラや携帯を動かして撮影してみる。又、看護師さんに撮っていただいた。尚、過去に点滴の針が刺された箇所は2・3cm程度手首側であり、肘の曲げ伸ばしに融通が利く様になっている。処置室のベッドで横になってした他、1度待合室のベンチで座ったまました事があり、この時は必然的に肘が曲がった状態になる。

その大谷は二塁打を打って出塁したが、その後中田・田中賢は打ち取られて二死になるが、田中賢の時に大谷は三塁へ進む。何とレアードが打席に入っている時にサプライズがあった。ワイルドピッチの間に大谷は本塁に突入して生還し、日本ハムはサヨナラ勝ちを収めたのだ。この日既にソフトバンクは西武に敗れており、これで優勝マジックは3に減少した。丁度試合終了の頃に本採血は終了して採血針が抜かれ、絆創膏と止血バンドが施され、400mlの血液バッグは満たされた。その後日本ハムは28日の西武戦に勝利し、4年振りのリーグ優勝を決めた!

献血後にアイスクリーム無料のコインをいただき、自販機で出していただく。又、ムーンライトなど森永のクッキーもいくつかいただく。しばらくして落ち着くと止血バンドを外して係員に戻す。最初のトイレは注意書き通り小便器での立位ではなく、洋式便座に座って行った。充分に休憩を取り、献血終了後1時間近くしてようやく後にした。今後は成分献血の挑戦や、道外遠征の際にも献血できる施設に立ち寄ってやってみる事も考えている。更には東日本大震災で被災した東北への貢献として、今後岩手辺りに行った際にもしようと考えている。尚、30日に冬場メインの仕事の入社手続(毎年行っている)のために午前中に検診を受けたが、血圧は昨年同様120台後半の正常値でほっとした次第である。しかし、赤血球の数値が基準より若干下回っていて貧血気味という事で、献血の影響を指摘された。

献血や点滴で数分間以上注射針を刺し続けるのは2001年5月に貧血状態で点滴をして以来となる。前回の献血から程なく半導体工場に就職できたもの3ヶ月で切られてしまい、以後仕事など落ち着かなくなってしまい、健康面で思わしくない状態になった事がこれだけ離れてしまった要因と考えられる。又、当時にはないけんけつちゃんというキャラクターがあるのも印象的で、血液センターの玄関に大きな人形が飾られていた。

 

 

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